その道の専門家になるのは私のような優しいというか能天気な人間には向いてないと思った。それに私の中には1秒を惜しんで勉強し、知識を蓄え先に進むというやりかたがそんなに好きではなかった。高校時代に建長寺で座禅の真似事をしていたとき、僧堂での指導者が私達に「何も考えてはいけない。目を半眼に閉じて眠らず、唯座っていなさい」と言った。何だろうこれは、と思った。考えることを放棄するなんて、人間であることを放棄するようなものではないかと。第一じっと座っていれば足がしびれて来るし、眠たくもなる。何か考えていれば少しは気がまぐれるから、何とか20分ぐらいは座れるが、それもしてはならないとは。それでも我々―寺で生まれて鎌倉学園で月謝なしで勉強している中学1年生から高校3年生までの約15人―は何とかサボりながら、徒弟講習と言われている一種の義務に耐えていたのだった。板敷きの台所に正座して修行僧がついでくれる味噌汁、ご飯、そしてたくわんの食事。すべてを食べ終えてお茶を食器に注いでもらい、たくあんで食器を洗い、きれいにして返す。さらに就寝前の隠れたプロレスごっこ、など。そして結果として考えてはいけない、という言葉が残った。
そのような世界もあると知ったことは、知らぬうちに私の生きかたの一部になっていたかも知れない。無論私は考えることを一番大切に思っている、だからこそ考えてはいけないと云う言葉を考えていた。それにあの木でつくられ、何百年もの年月を経てきた建物の中での生活、十代の若さの、指標も何もないときの経験は、例え合宿のごとき短期間とはいえ、思った以上に身体の中に残っている。あの広い台所の堅い床、ぴかぴかに磨き上げられた黒光りした床と柱、何人もの人がぴしっと正座し、微かな食事する音以外、無音の中での食事。「ありがとう」とも「ごちそうさま」との言葉もなく、流れの中で次々と小さな手でのサインと軽いお辞儀だけで食事が終り、次の人達と交代する。そしてほぼ完結されている中庭をごく自然に眺めて皆でお経を詠んだりしていたのだから。
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