− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


46.十年戦士
 

所有欲、それは私達の自由に対するあこがれに近く、飢えの世界を知っている者にとって手元にある食物はそれだけで自由がある。金の無い人にとって、たまたま財布の中にお札がぎっしり詰まっていると、それだけで自由がある。さらにそれ以上を求めている人にとって、『貧しき食事』を所有する事はやはりより多くの自由を持っているような気持ちになると思う。

さて、良い絵を安く手に入れるにはどうしたらよいか、原理は簡単だった。その絵を十分評価していない人から買えばいいのだった。例えば梅原龍三郎の絵をアメリカで見つければ、日本でよりもきっと安く買える。原理は簡単だが実際にそのようなものを見つけるのは大変だった。だが80年代は今から思えばかなり在ったと云えよう。また異なった業界で見つけること、つまり版画を額屋で見つけるとか、本屋で見つけるとかすれば、地域差と同じようなことが在る。最初に私のやったことは主に外国の小さなオークションや画廊にある日本でより評価されている作家のものを買って日本に持って来ることだった。80年代前半でのニューヨークへの買いつけは長閑なもので、1回の出張期間は約20日間、資金はせいぜい2000ドル。安い物や、知らない画廊などで買うときはキャッシュで払わねばならなかったのでそれを使い、良く知っている画廊で買うときは1ヶ月の延払いにしてもらい、日本に帰ってから急いでそれを売り送金したものだった。ニューヨークに住んでいた事も在って知り合いの画商も多く、委託で預かり日本に持って来たものもあった。

 

 商売を始めて10年ぐらい経ち、発展する日本経済の中で私の画廊もなんとかやって行けるようになった頃、残されたまだ訪ねていない国々のことが少し気になり、試しにドイツの方に行き、小さな旅をして見た。結果は自分でも驚くほど旅行に興味が無くなっており、汽車の窓から景色など見ずに持って行った日本の小説を読んでいるような有様だった。やることはと云えばオークションのカタログを見ながら何を買ったら良いか、とか、町に出て画廊や骨董屋を訪ね何時も何かを買うことばかり考えていた。美術館に行っても昔ほど半日も居るなどと云う事も無くなり、必要な展覧会だけを1時間だけで観て、また画廊周りをすると言うような日々だった。

 45歳を過ぎて初めて自由にお金が使えるようになって私はその自由を満喫していた。右肩上がりの景気の中で、それもビジネスの中でだから無論慎重にお金は使ったのだが、なんせインフレの時代故、年間7パーセントぐらいの利息は意にも介さなかった。それにそれらは商品なので例え100万で買ったものが思うように行かず、1年後に110万で売ったとしても何とか利息は払えるし、また新しいものを買ってチャレンジ出来るのだった。