− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


44.戦略
 
 考えの中だけでとか言葉だけの世界も価値が在ったし、それだけで充足していた時も在ったが、それでも唯の紙切れである卒業証書、それもアメリカの大学でのそれは何か自分の思いを紙切れに体現したふうだった。絵を扱う世界に入り、私はそれと同じようなことを絵にも感じるになっていった。次第に自分の欲しい絵がはっきりして来た頃、私はピカソのある銅版画がとても欲しくなり、三ヶ月分の給料のそれを買った。とうとう私もピカソの版画を持つことが出来たと思いながら、手に取り、額に入れ、飾ってみて初めて物を所有する楽しさを知った。

 私の持って生まれた少しばかりの感性と35年の生きた経験との総合で、その時はその絵を選んだと思っている。それは一見、読む本を選ぶのとも似ているが、また少し違った世界だった。本の値段はそんなに高くはないが、特に世界のオークションカタログの中から選ぶ絵は限り無く高価なものも在った。そのようなものに就いて調べれば調べるほど何故それがそんなに高いのかが解り、唯オークション会場で手に取って見るだけでなく、いつの日か自分の物として手元に置きたいと思うようになった。しかし、それを実現するには唯の努力だけではほぼ不可能で、そのための戦略が必要だった。 

 

 

 戦略とは考え方の変更で、原価10の物を12で売って経費を出すということではなく、原価を1としても良い筈だと云う事だった。他人が作った価格にそのまま自分の経費を乗せて値段を決めると云う事に、はたして自分の思いを入れる事が出来るのだろうか。買う絵の価値は自分が創らねばならない。作品とその値段との間に決まった関係はどこにもないのだから。

 ただし、でたらめな値段では通用しない。日本での売値がその時点で大体決まっていれば、私のように3ヶ月分の給料をはたいて絵を買う人はその絵について調べる筈だ。その絵の妥当な値段はマーケットで決まる。マーケット価格は結局多数者の意見によるもので、例えそれが3ヶ月しか続かないものであろうと時価として成立する。そのため、絵を買うときに気にした事を売る際にも使うこととなる。それは誰の作品か、何時創られたものか、どのくらいの数が今も残っているか。そして、無論絵そのものの魅力が最初に来なければならない。

 価値とは、そのものをよく調べた人間ほど嵌るものかも知れない。-それは所有欲にも通じるもので、心を持った人間とそれを持たない(であろう)物との関係ではあるが。心を持っていると偉そうに云っているが、我々心を持った人間だって基はと言えば粘土と熱で創られた物かも知れない。しかし、ともかく稀少価値とか所有することなどを特に大切にするのは人間の特徴だと思う。無論ライオンだって獲物のほんの少ししかない内臓を一番先に食べたり、雌を確保するために激しい戦いをしたりするのだから、そういうものが無いわけではないと思うが、人間ほどは抽象的な価値観ではないと思う。ライオンと違って人間はピカソの絵をただ壁に掛けて眺めていて満足出来るのだから。