− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


43.チャレンジ精神
 
昔は冒険をするために皿洗いやガーデナーをし、金を貯めてからやったのに、画商になってからの冒険は、少しかもしれないが金を儲けながらできた。

バブルの時を迎え、自分でも良く解らないままにその興奮の中で生きていた。1985年ころニュウヨークの画商から550万で預かっていたピカソの『貧しき食事』を、けっきょく売り切れず返したのだったが、1990年バブルの頂点で東京で行われたサザビーズ社でのオークションでは、『貧しき食事』は6000万で落とされた。現在2003年では同じ物が1200万で落ちている。もし価値と云うものをお金に換算して考えたら、この差は何を意味するのだろう。土地に関しても同じで、一時私の画廊の在る所は坪1億で、実際その金額で売った人もいた。今は2000万と言われ、実際売ろうとすると1000万を切ると言われている。私もそのオークションで、今だったら100万くらいで買えるミロを600万くらいで買っていた。91年に入ると全てのものが下がり始めた。最初は2割ぐらいの値下がりだったが、危機感は持っていた。

 

 

一生懸命新聞を読み、週刊誌の経済面を読み、人の意見に注意していたが、まさかすべての物が5分の1から10分の1になるとは想像もできなかった。90年までの右肩上がりが当然だった頃は思った。ー私の商売の仕方だったら、昔親父が言っていた漬物屋と一緒で、その時売れなくとも腐るものでないので、じっと持っていれば持っていた分高く売れると。しょうがない。下がり始めて、売るチャンスを逃してしまったものに関しては23年持っていよう、いずれ上がるだろう、と。

 23年経って多くの物の値段が半値になった時、私はチャンスだと思い、買いに入った。ーそんなに長い間下がり続ける筈がない、と。私はたぶん我慢することに疲れていたのだろう、昔の世界一周を夢みていたり、大学の卒業証書を取ることに我慢出来たのに、50歳の、その頃よりも余程力を付けている筈の私が待てなかった。あるいはチャレンジしないと生きている気がしない性格がそうさせたのだろう。以来今度こそは底に違いないとトライし、その度事に上手く行かなかった。

 坊主とか教育者を目指していた私のこの変化は、自分でも面白かった。自分はずっと同じなのにまるで違う人のようだった。それでも私の根底にある人間に対する興味、特に自分自身に対する興味は変わらなかった。昔から私は自分に云っていた、「あなたは何が欲しいの?」とか「何が知りたいの?」と。そしてそれが手に入る前から、それを知る前から、次の質問が待っていた。「その次は!!!?」と。