− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


42.上昇気流
 
画商としての商売は75年に始めて以来10年間は鳴かず飛ばずだったが、85年くらい ―日本経済の右肩上がりの傾向が顕著になり始めた頃― から、ギャラリーかわまつも流れの中で売上が伸び始めた。それに私の歳も45歳で色々な事が分かっても不思議ではない年齢になっていたし、健康で体力もあったので、しょっちゅうニュウヨークやロンドンに出かけ、画廊やオークションに行っていた。そこで買った版画を日本の交換会という美術商だけのオークションで売り、また買いに行くということの繰り返しだった。 
取り扱う版画の分野をピカソとエコールドパリを中心にしていたので、割合短期間にマスター出来たのも幸運だった。特にピカソに関心を持った。関心を持てたことは、何にも増して私の画商としての方向を決めるのを容易にした。何を買って良いのか分からなくなった時は取りあえずピカソを買い、少し気持ちの余裕ができてからミロやジャスパー・ジョーンズをトライするという具合に。短期間に私がそれらモダーン・マスターズと言われているピカソやマチスの版画の見方を覚えたのは、ひとえにササビーズやクリスティーズというイギリスやアメリカのオークション会社の出すカタログを読み、作品を実際に手にとって調べた上でオークションに臨み、どきどきしながら買ったからだった。10年、年に4回、約年間50日をそのために費やした。
 

 

カタログの書き方は皆ほとんど同じで、まず作家の名前、その作品のタイトル、技法(たとえばリトグラフとか)、限定数、制作年代、その作品の出ているレゾネの番号、刷られた紙の種類(アルシュ紙とか)、作品の状態、色が薄くなっているとか、マージンが切れているとかであり、要するに版画でチェックしなければならない事が全て書かれていた。時にはこれは大変珍しいものだというコメントもあり、そういうものと一緒に大体の時価が書かれていたので(たとえば1,000ドルから1,500ドルで落ちるだろうとか)、よく分からない作品でも買ってみたいと云う時は、その予想価格の中で買っておけばあまり間違えがなかった。誰にも相談せずにカタログをこれでもかと言うほど買い、読み、日本との温度差のある版画を買っていた。例えばフジタ・長谷川、浜口、棟方、池田などのヨーロッパに進出していた作家の作品、また特に日本人に好かれていたビュッフェ、ローランサン、ルオー、ユトリロ、ブラック、デルボー・・・、無論ピカソ、ミロ等もその中に入っていた。さらにそれらが一段落すると、次にあまり他の画商の扱わない作家のものを、ー自分の個性を現したくなりー、チャレンジしていった。無論そんなに無名の人ではないので幾つかの画廊で紹介されてはいたが、私にとっては冒険だった。「冒険」とは、確とした勝算はないが色々な意味で手を出したくなるようなものに出会い、敢えて一歩踏み出すことだろう。ビジネスの中でやることだから、そんなに特殊なことをするわけでは無かったが、ヴォルスとか、デュシャン、マン・レイ、ダリ等はよく解らないものだったが、何故か扱ってみたかった。