毎日車で当ても無く出掛け、1日仕事らしいことをするのって随分疲れることだった。東京に事務所を持とうと思った。なぜなら私と同じ位かもう少し若い画商がちゃんと事務所を持ってやっているのだから。ある日車で神田を走っている時“空室”という張り紙が目に入りそこを訪ねた。靖国通りに面した小さなビルの3階、12.5坪で月10万の家賃、敷金はわずか30万円だった。そのビルの持主と直接契約し、1975年の春にギャラリーかわまつの画廊ができた。
神田にはその当時アートライフとギャラリーきくがあり、私はしょっちゅう顔を出していたので土地感はあった。それに古本屋が沢山あるところなので好きな場所だった。親切な人に指導してもらいながら私とその人で内装を終え初めての展覧会を開いた。確か『黒の世界』とかのタイトルでルドン、ルオー展だった。そのころ私は色彩感覚が乏しく惹かれる作品は皆モノクロの作品ばかりだった。 |