結局ニュヨークで仕事したのは1年ぐらいだったが、オイルショックがきて2年契約の事務所を解約し、全てを整理して帰国したのだがその経験は私を大人にした。僅か1年の間に1億円ぐらいの買い付けをし、事務所をきちんと途中解約したのだから。
私はフジアートの社長をエネルギッシュな変わった人だと思い興味深く見ていたが、何故かこれほど優秀の人なのに彼は私を礼儀正しく扱わなかった。彼なりの先輩後輩のやり方だったのかも知れないが、私の水大柔道部やピーターソン夫妻の下であまりにも人間性豊かな関係だったので、彼の態度にちょっと失望した。彼は子分を必要としたが私は親分を必要としなかった。彼の下で私は4年間月給を貰いながら勉強させて貰った、もしこれが学校なら私は月謝を払わなければ為らなかったのに。
1974年の終り近くに会社を辞め、と同時に独立しギャラリーかわまつを発足させた。 |