− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


35. 旅のあとで

 

 自分の家に帰り、明日の為の準備をする必要もない生活を一月もすると、からだも元に戻り何かまたしたくなってきた。それに今は昔と違って結婚して妻のいる身なのでそう何時までも親の厄介に為っている訳には行かない、と。それなら昔からお寺を継ぐつもりでいたのだから、直ぐにでもその意思を両親に表明し、当然の如く建長寺で坊主の修行を始めれば良かったのだし、最初はそのつもりだった。

 

 

安定した生活と目的とした仕事が現実のものとなり、手を伸ばせばそれが手に入る時になって始めてそれは如何いうことなのかと考えた。私は寺に生まれてそこで育ち、中学、高校と常に建長寺に出入りしながらいずれは寺の坊主になり、父のように学校の先生をやりながら生きるのも良いな、と考えていた。戦後の食料難の時代を経験した私には、生活苦なしに生きられると云うことにすごく価値を感じていた。それなしには本当の自由は無いとも思っていた。1950年頃の経験が根強く生きていた。特に私の60年代のアメリカでの貧乏生活のためか、本来大学を出て就職をして少しゆったりした生活を経験していればそれもある程度修正されていたかも知れないが、わたしにはそれが無かった。当然経験しても良い、しなければならないと思われるそのゆったりした生活をやってみたかった。それも寺という場でゆったりするのではなく、個人としての能力を使って金を稼ぎそれでゆったりしたかった。それに私はまだ試合に出場したかった。今までの経験を使って皆がやっているようなビジネスの世界での試合に。

 

      

 

30歳になったら世の中のためになるような生き方をする、だからそれまでは自分のために生きる、と取り合えず8年の猶予を自分に与えたが、いざその時が来てしまうとまだ何かが足りないような気がした。シバイツアーだったら医者だから確かに死にそうな人を助けること、または助けようとすることが出来るだろう。なんてたって命は絶対的な価値なのだから。今の私にそのような絶対人のためになるような、与えるべき特殊技術とか知識があるだろうか? 坊主になったって人のためというような世界ではないし、第一に自分のしたい事をあきらめて他人を助けようとすることが私をそれほど惹き付けるのか、ともう一度始めから考えた。そして思った。これはちょっとした言葉の綾だが、すごく大きな綾でプラスとマイナス、または裏と表ほどの違いがあると。この世では他人のために良い事をした人、する人は誉められる。自分の本当に望んでいるものが無かったり、まだ見付けることが出来ない人にとって、とりあえず自分に自信を持って生きるためには、人の賞賛が必要なのかもしれない。そして思い始めた。シバイツアーは私が思っているように他人のために生きようとしたのではなく、自分の生き方を発見してそのとおりにした。結果として無論目的もそれに近いと思うが、彼はアフリカの人達を救った。これはどちらかと云うと、河に落ちた子供を助けようとする人と基本的にはおなじだと思う。もう少し大きいし、より哲学的だとは思うが。

 

 

 

 そう、私は自分のやりたい事を見付けるべきなのだ、最初のそして最大のやりたい事の世界一周を予定どおり30歳までにやってしまったので今は少しボーッとしているが, 私はそれをやる前の私と違っている筈なのだ。 新しく入った知識と体験を加えてもう一度軌道修正してもおかしくはないはずだ。