− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


33. 病

 

421日  外は雨が降ったり止んだりしている。1日中部屋で休養。

4月22日、雨。カトマンズで買ったお面が意外に重くかさ張るので日本に郵送することにする。薬屋のおじさんから箱をもらい大きすぎるので新聞紙、不必要な本とか貝とかを詰める。愛子の体調は良くなくまだ出発できそうもない。

4月23日。好天とは云えないが、とにかく雨が止み時々陽がさしたりしていた。しかし雲は重く完全には晴れ切れない。小包を持って郵便局に行く。カスタムオフィスに行くとスタンプを貰って来いと云うので荷物を持って行く。そこで何枚かの書類に書き入れ、また郵便局に戻る。普通はカスタムオフィスは局内にあるのだが。リキシャで往復したのでリキシャを引いている少年と値段の事でもめる。それでもその少年と最後まで付き合い郵送し終わる。布代7ルピー、これは良い布だったので使わず、4.5ルピーで買った南京袋をナイフで切って梱包した。郵送代35ルピー、税金1.5ルピー、そしてリキシャ代6ルピーなり。郵送に費やした時間は約3時間。

 4月24日、8時ごろ宿のおやじに起こされる。おやじめ唯愛子の様子を訊きに来ただけ。もう眠れずそのまま起きてしまう。朝食してまた眠る。愛子の状態は朝から大分良く熱も取れて頭もはっきりして来たと云っていた。夕方5時ごろ少し暖かくなったので30分ほど散歩する。夕方彼女はそそっかしくも折角買った体温計を落とし、壊してしまう。夕食を抜かすなどとぬかしておったが、初めから全然その気はなかったに違いなく、私がからだに障るから、後生だから食べてくれと云ったら喜んだ事。静かにさせるために、壊れた体温計を見せねばならなかった。

 

 ホテル前の牛たち

 

4月25日、今日がネパールでの15日目、つまりビザの切れる日だと気がつく。宿のおやじにこの町でビザの延期ができるかどうか訊きに行くがおやじは留守。留守番の人では解らず、結局愛子の体調が思わしくないにも拘わらず、ともかくネパールから出ることにする。2時ごろトンガでインドに向かう。40分ほどでラクソール駅に着く。御者に3ルピー70ほど払い、何か文句を云っているのを尻目に構内へ。もう慣れたもんでいちいちまともにつきあっちゃあいない。病人を連れているので駅に部屋があったら泊まろうと思い訊ねるが、あいにく部屋は無く希望を次の駅スゴリに託してともかく汽車に乗る。

1時間ほどで5時半ごろスゴリ駅に着く。ラクソール駅よりも小さな駅で休憩室しかなく、またまた夜9時50分発のパトナ行きの汽車に乗り込まざるを得ないというはめになった。休憩室から長椅子を持ち出し毛布を敷いて愛子はそこに横たわる。彼女にとっては今日が一番心細い日だったに違いない。何しろ休む家も無く、熱があり、その上インドという場所で病気になったのだから、へたすると他のもっとひどい熱病に罹る可能性もあるのだから。汽車が来るまで約4時間ある。ボーイに頼んで食事―小魚をコショウで味付けして煮たもの、マトンカレーとごはん―をする。休憩室にはアメリカ人のような人達が5、6人いて、ハシシを吸って時間をつぶしていた。一人が私達にも吸わないかと誘ってくれたが、ノーサンキューと退けてからは彼らはもう私達に話し掛けようとはしなかった。私がトイレに行こうとして部屋に入ると彼らは会話を中断してしまうのだった。彼らのように皆でハシシを回しのみするかしないかによって仲間であるかないかを決め、回し飲みしていればアメリカ人であろうと日本人であろうと仲間であり、さらに一緒に食事するときもグループの一員として認めてもらえるに違いなかった。つまり私達はある意味で本当のヒッピーにはなれなかった。  

 20分ほど遅れて汽車が到着するが、ホームに止まらず真中の離れた所に止まっているので皆ホームを降りて、大分暗い中ウンチを踏まぬよう荷物を手に持って汽車に乗る。運良く一等車にベットが空いておりそれを取る。

     
            石を割る男たち(左)と木材を運ぶ女たち(右)

4月26日、予定より3時間以上遅れてプレザガットに着く。ここで船に乗り換えそのガンジス河の上流を渡り、パトナ駅に行きカルカッタ行きの汽車に乗る予定。船は人で一杯で1等も3等もなくそこら中荷物と人間ばかりだった。大の男達が椅子にふんぞりかえって座っており、誰も咳をしながら鞄に座っている愛子に席を譲ろうとはしなかった。昨夜一緒だった1等車にいた男さえ愛子の調子が悪いのを知りつつ私達のすぐ横でふかぶかと座って食事をしていた。とにかく喉が乾いており腹も減っていたので、汚いのを承知の上で朝食にお茶、ゆで卵、トーストを頼む。愛子は食欲もなく唯ぼんやりと座っていたが、無理にお茶とトースト1、2枚食べさせた。船中の1時間は永く、来る時よりも混んでいたので昼間にも拘わらず景色を観る気にもならなかった。やっとのことでパトナのホテルに着く。そのまま愛子はベットに沈没。

  昼食もこのホテルはベジタリアンなのでろくな物がなく、僅かにミルクが救いだった。熱はさほどある訳ではないのだが、その少しの熱がどうしても取れず、すっきりしないらしく1日中部屋の中にいた。