− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


32. カトマンズ

 

  4月14日、8時に起きて宿を探す。町を歩いている間に寄ってきた闇ドル屋と1ドル15ルピーの割で20ドルほどルピーに替え、宿も彼らの案内でカトマンズロッジにする。1泊12ルピーで今日泊まっていたホテルの23ルピーに比べずっと安く部屋はほとんど同じ。昨夜エジプトで一緒だった日本人グループの一人と会い皆のその後の様子を聞く。すごく安く食べられる中華レストランを見つける。カトマンズにはヒッピー風の人が沢山住んでいて至る所で彼らに遭う。今日はネパールの人達にとっては正月の元旦で、隣の町ではお祭りをやっているとか。

 飛行機の予約をする。この19日にはカトマンズからビルガンジに飛び、そこから汽車に乗り換えカルカッタに行き、すぐにバンコックに向かおうと。どうしてもインドネシアに行きたい、ビザに200ルピーも払ったのだから,無駄したくない、限られた金と時間を。

 4月15日、ゆっくり写真を撮りながら、宿から約1時間の所にあるモンキーテンプルを訪ねる。裏町はどの町でもそうだが、ここカトマンズは実に汚く道とドブが一緒で、豚がいっぱい泥水の中で遊んでいた。丘の上の寺はチベット寺で、今日は正月の2日なので坊主どもが沢山集まっている。長い引きずるような笛や、太鼓とか云うに云われぬ摩訶不思議な楽器をドンドンガラガラ鳴らしてながらお経を詠んでいたり、小僧の坊主が真面目な顔をして歌舞伎みたいなことをしていた。仏壇にはいろいろな食べ物、米のご飯、いも、野菜、そして肉も並べられていた。私達の方を見ながら太鼓を叩いている坊主や、よそ見して、とちって苦笑いしている坊主らが実にのんびりやっていた。

 

 カトマンズにて(下も同様)

 

 4月16日、飛行場で一緒になったリッチという名のアメリカ人とドイツ娘、ギゼラのカップルの4人でカトマンズから少しのところにあるパサンという寺町に行く。小さな町なのでレストランのようなものは一軒も無く、我々は持っていたビスケットを昼食代わりに食べた。面白いお面が沢山あり安いので皆幾つも買ってしまった。

 4月17日、朝6時に起きてナガルコットという町へヒマラヤの山々を見に行く予定だったが、その朝は空が厚い雲で覆われ、エベレストは見えまいと諦めてまた寝てしまった。10時に起きてとにかくその近くのバルガオンという村に行く事にした。前日買っておいたトマトとバナナ、宿の人に作ってもらったゆで卵を持って出発。バスで30分2人で1ルピー。その村は正月の3日故かお祭りの最中で、村中の男達は笛や太鼓を叩きながら狭い泥のはねとぶ道をねり歩き、女達は何やら食べ物のような物を持って皆で集まっていた。博物館もあり、そこにはチベットの絵がネパールの絵と同じくらいあった。

 歩き疲れて大きな池の近くで休む。そこは村人たちの便所で、入れ替わり立ち代り男達が来てうんちをし、そのまま池に行って手で尻を洗っていた。豚がすぐ来てうんちを食べてしまうのでうんちは何処にも残されていない。ただ7、8匹の豚がいつもその近くをうろついていた。

     

 4月18日、バスで会ったネパール人のサムが朝来るというので9時ころ起きる。宿のダイニングルームでトースト4切れ珈琲目玉焼きの朝食。11時になってもサムは現れず、諦めて外に出る。いつもの両替屋に行くと門の所で他の両替屋がおり、そちらの方がレイトが良いので替えることにする。1ドルが15.5ネパールルピー、明日またインドに戻るのでインドルピーも1ドル11.5ルピーで替える。明日はもう出発するというので井上さんとちょろさんが訪ねて来た。

 4月19日、残金は340ドルと268インドルピー。朝7時に起床しロイヤルネパール航空の事務所に行く。ようやく出たバスで11時に飛行場へ着く、が、天候が悪く30分ほど待った挙句フライトはキャンセルとなり、またバスでカトマンズに帰る。もうあまり時間、つまり金がないのでなんとか今日中にビルガンジまで行こうと相乗りタクシーを探すが、1時間しても見つからずに諦めて、結局明朝のバスでカトマンズを出ることにし、小雨の中をカトマンズロッジに戻る。運良くまだ部屋―それも同じ部屋―が空いており、もう一晩そこに泊まる。カトマンズ最後の夜は遅くまでリッチ達と話す。

   4月20日、バスで朝8時出発。午後4時半にビルガンジ着。愛子は風邪をひいたらしく、9時間のバスで相当疲れてこれ以上の強行軍は出来そうもないので、カトマンズに向かう時泊まったホテルコセリに泊まる。夕食を取り、アスピリンを飲んで眠る。