− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


31. 5ルピー

 

4月7日、残金360ドル、内210ドルは両親からの送金、それと現金9ドルと600ルピー。夕方8時パトナ着。 

48日、旅行社にカトマンズまでの飛行機の切符を買いに行ったのだが、インド航空がストライキ中でネパール航空しかなく、それも5日先まで席が埋まっており他の方法を考えねばならなかった。今日はなぜかナーランダやラジギールへの周遊バスがでていないので博物館に行って時間をつぶす。ネパールやチベット系の絵画や彫刻が沢山ありまた仏像の良いのが幾つかあった。夜レストランでそこのマネージャーと喧嘩してしまい 町でたった一つのノンベジタリアンレストランを失い、しかたなく夕食はホテルでベジタリアン料理スープやアイスクリームでなんとか腹を満たす。

 49日、ラジギールを訪ねる。日本寺があり日蓮宗の木村さんと言う坊主が一人で守っていた。10年掛けてその山を拓き立派な仏舎利塔を建てた。こぶ茶をごちそうになり法華経について聴き 新興宗教に対する批判を聞く。その後案内してもらい昔ここに王舎城があり また仏陀が一番永く住んでいた所だったと聞く。

 

カトマンズへの道中

 4月10日、夜の8時にパトナからガンジス河を船で出発、カトマンズに向かう。1時間半ほどで船を降り汽車に乗り換える。次の日の昼の1時にインドのネパールとの国境の町ラクソールに着く。

 トンガで国境を超えネパールの国境の町ビルガンジで宿をとる。3時頃着いたにも拘わらずカトマンズへのバスも飛行機もなく、明日まで待たねばならなかった。愛子の体調が良くないので空路山々を上から観ながら行くことにする。ラクソール駅で飛行機の便を訊いたときはもう満席でバスしかないと云われたので、一応バスの予約をして5ルピー払った。

 ビルガンジに着いてからロイヤルネパール航空の事務所に行って確かめたら明日の席はまだあると言うのでバスをキャンセルし予約料の返還を求め、わーわー言って5ルピーをやっと返して貰う。

 

 その頃の私達はわずか5ルピー(100円)のことで喧嘩していた。不思議な事に今思うと、イスラムの世界ではほとんど喧嘩しなかったし むしろ私達よりも貧しいと思われる人達に助けられていたようだ。インドは長いイギリス人の支配の下で痛めつけられ、我々日本人に対しても、外人ということで不信感を持っていたのだろう。それと同時に我々も長い貧乏旅行で精神が疲れていたのだろう。

 4月12日、朝7時ロイヤルネパール航空の事務所に行きカトマンズへの切符を買う。飛行機は12時50分と2時50分との2本があり、我々は遅い便を取る。天気の状態がおかしく雨が降り始め、その内土砂降りに、雷も鳴り始めた。事務所の前からバスに乗り飛行場に着いて驚いた。土で出来た滑走路なので何か牧場のようだった。それに事務所にも飛行場にも電話が無いので連絡のしようがなく、最初の12時50分の便がまだ出発していないにもかかわらず、バスは次の便の客、つまり我々を何の説明も無くはこんでいたのだった。皆で1時間くらい空を見ながらカトマンズから来る飛行機を待つが雨は止みそうも無く、厚い雲が空を覆っていた。欠航となり我々はまた同じバスでビルガンジに帰る。明日もしかしたらカトマンズへの臨時の便が出るかも知れないというのでその知らせを宿で待つが、夜8時頃、結局明日の飛行機はない事がわかり、あわてて明日の朝のカトマンズへのバスの予約をした。

 


ラジギールの日蓮宗寺院  

ジャイナ寺院

  4月13日、バスは8時半出発の予定だったが本当に出発したのは10時近かった。カトマンズまでの9時間のバスの旅は予想以上に疲れた。オンボロバスだし、ルートがルートで8000フィートを上がったり下がったりしながらやっと夜の8時にカトマンズに着いた。その夜はバスの中で訊いたホテルに泊まる。