− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


29.思わぬ贈り物

  
次の日バスでコナラクに向かう。バス出発の3時までバンガロー前の芝生に寝転び、我々をずっと待っていたリキシャに乗ってバスの停留場まで行く。夜8時にコナラク着。泊まる予定のバンガローまで久しぶりに荷物を背負って歩いた。まったく暗い道を歩いたので、周りがどうなっているのか全く解らず明日の朝が楽しみだ。

3月27日、砂原の真中、そこに少し樹があり、突如と石のでかい塔が建っている。それは寺院だった。石が実に丹念に何十年という歳月を掛けて刻みこまれていた。石の人間が柔らかくなま生としていた。彼らヒンズーにとって寺は生活の中心。それゆえ寺にある浮き彫りは人間の一生を示していた。子供と一緒の母親、戦い、狩、セックス、女性美、鳥、象、ライオンなど。母親に連れられた女の子、中学生の団体などが寺の周りを回っている。セックスのいろいろな浮き彫りが沢山あり、そんなものを漠然と見せることによって実際的な男と女の関係とはどういう事なのか、結婚とはどんなものなのかを芸術的に教えているようで、アメリカやスエーデンとは違った性教育をしていた。    

3月28日、バスでカルカッタ行きの汽車が出ているブバネスワルという駅に行き、そこから夜10時の汽車に乗る。予約した寝台車には切符なしで休んでいた親子がいたが退いてもらって眠る。体力維持のためには結構非情になれるものだ。予約料金は一人12ルピー(約360円=1ドル。但し闇ルートで正規のレイトではないが)の差だった。

 

 
聖牛(左)とコナラクの村の様子(右) 

 

 朝9時カルカッタの駅に着く。駅の周りのタクシーやリキシャ、トンガは旅行者と見れば吹っかけて来、決して当たり前な料金で乗せてくれなかった。出発時の駅で会った丸紅の人とカルカッタの彼の泊まっているホテルでドルとルピーの交換を約束していたので、何とかそのホテルに行き100ドルほど交換した。カルカッタに着いた時はほとんどルピーが無かったのでこれでホット一息だった。我々貧乏旅行者にとって正規レイトでドルを交換するなんて非常識なことだった。忘れてしまったが闇レイトは倍ぐらいの価値があったと思う。それゆえ安全に良いレイトで交換してくれる人をいつも探していた。マドライのホテルで会った広島大学地理学の助教授の北川さんに教えてもらった宿に行こうとタクシーと交渉するが、大きな荷物を持った女連れではどうしようもなく、皆8ルピー、10ルピー、6ルピー、と言ってなかなかメーター料金3ルピーで行こうとはしなかった。一時間ほど探したが見つからず、仕方なく6ルピーのタクシーで行こうとしたら我々が余程金がないと思ったのだろうか、親切なインド人が宿の近くまで送ってくれた。

   宿は朝食付き55ルピーといったが素泊まりで30ルピーにしてもらった。ホテルでシャワーを取り昼食を取った後、日本領事館に行く。旅行中は日本からの連絡は基本的には領事館を通して行っていたので、いつも真っ先にそこに行く事にしていた。なんと母からの手紙と200ドルの送金があった。日本を出て以来送金を依頼した事はなかったが、もしかしたらもう少しお金があったらもう少し沢山の国を見られると言ったのかもしれない。とにかくこの時期の200ドルは大金だったので、夜はちょっと良い中華レストランに行って祝杯を挙げた。

 
コナラクにて(左右とも)

 3月30日、ネパールへのビザと鉄道の学生割引券を取りに行く。東京銀行で160ドルのトラベラースチェックと40ドルのキャッシュを受け取る。急に気が大きくなり、ランチも夕食もご馳走。

4月2日、タイの領事館に行きビザを取り、その後インドネシア領事館へビザを取りに行く。1人103ルピーもするので躊躇するが、ままよと払う。

4月3日、午前9時ガヤ駅着。駅前の案内所を訪ねそこからすこし離れた、ブッダガヤにある日本寺を訪ねることにし、タクシーを半日20ルピーで頼んだ。日本寺といっても寺はまだ建立されておらず会館だけが造られていて、若い日本人が5、6人、玄関の前に穴を掘っていた。池のある日本庭園を造るのだと言っているが、このからからな土地にはたして苔寺のような、または石庭のようなものがこの砂埃の舞い上がるインドに出来るのだろうか。尼さんが台所で何かを作っていた。まだ10時ごろだったので先に大塔を見物し、12時に戻って来るからと約束して朝食にお茶と甘いパンを台所で食べ、タクシーで大塔に行く。黄色の衣を着た人達に沢山会う。ここの仏教大学の学生でタイやビルマ、セイロンからの留学生らしい。チベットやネパールからの坊さんも何人か見かける。仏陀が悟りをひらいたという菩提樹を見る。

 

   
      
      休息する牛ら

 

  寺に戻って皆と昼食をとる。全部で14、5人で、そのうち坊さんが3人、尼さん1人外国人2人、日本からの若者4、5人、そして私達。お米のご飯と野菜の煮物だけの昼食。

   私達はそのままお寺に留まることにし、午後私は大塔へ写真を撮りに、愛子は暑過ぎるので寺に残って尼さんと話をしたり、坊さんの心経の勉強会に出たりしていた。夜、リキシャでガヤのホテルまで帰るつもりだったが、約1時間人気のない砂漠のような所を通るのは危険だからと、特に最近人が襲われたからと、大塔の前で会った人に忠告されたので日本寺の人に頼んでそこに泊めてもらうことにした。夕食後も1人の坊さんといろいろ話し合った。部屋は新しく、きれいだったが窓が1つしかなかった。さらに風も無く、蚊帳を囲ってあるので全く蒸し暑く、とうとう朝までほとんど眠ることが出来なかった。