− ギャラリーかわまつ誕生秘話 −


26.インド紀行その2

 

3月4日、ボンベイから汽車でさらに南のマイソールに向かう。何かを見に行くという訳ではなく、唯インドの南端の町に行ってみたかったのだ。途中ゴアに寄るつもりだったが、乗り換えに失敗しあきらめてそのままマイソールに向かった。この辺の汽車のスケジュールは乗り換えの待ち時間が10時間から時には一日待たねばならなかった。いくら時間だけはあるという我々にとっても一日の食費とホテル代は無視出来ず、たとえそれが3ドルでも。3、4時間待って夜中3時の汽車に乗った。三等寝台のベッドは木製で足の長くない私でも足がはみ出してしまうという物だったが、横になれるだけでも有り難かった。窓から見る景色は次第に熱帯地方のそれとなり、 大きな樹が堂々と四方に枝を伸ばし大地にしっかりと根を這わしている姿は実に美しいものであった。小さな樹には猿が動き回っており、動物園で見るのとは違い、いかにも南の方に来た感じがし、これからはもっと面白い所に行くのだなと思った。

三等寝台にいる人達は二等寝台にいる人達よりもより開放的で、確かに現地の人達と話している感じがした。2日2晩、約40時間汽車に揺られて待望のマイソールに着いた。

 ホテルを見つけた後アフガニスタンからの留学生に遭い、彼らと同じ寮に日本からの留学生が一人いるというので会った。新井さんという農林省の食糧庁から派遣された人で、 水産大山岳部の先輩でやはり食糧庁に勤めている西丸震也さんを知っていたし、 彼の弟がやはり水大出だったり、もうひとりの弟が鎌倉学園出身の先輩だったりして、何かこんなインドの山奥で知り合うなんて不思議な感じがした。新井さんに次の日、今もマハラジャが住んでいるパレスに案内してもらったり、夕食をご馳走になったりして楽しい時間を過ごした。 

 

 
マイソールの市にて 街頭のミュージシャン

 

3月9日、マイソールからバスで6時間かけてコインバトールへ、そこで汽車に乗り換え南の海岸沿いの町、コーチンに向かう。汽車に乗りほっとして外を見ていると、長閑なもので田んぼの畦にはパームツリーがあり、至る所に水牛や牛が日光を浴びていた。裸足の子供達やおっぱいを平気で出している中年のおばさん達が見えた。 夜になると、汽車の中から月が出ているのでぼんやりと景色が見えた。この辺はまだ電気がひかれていないので、ランプで明かりを取っている家が沢山見えた。夜風は生暖かく窓を開けていても、石炭の燃え滓さえ飛んで来なければもっと気持ち良かっただろうが、もうどうせ体中埃だらけなのでそのまま開け放しにしておいた。

     コーチンからさらに南の海に出るとモルジブ諸島がある。それほどの南の町だった、コーチンは。 近くの島の教会にバスコ・ダ・ガマの墓があったので訪ねる。 さらに隣の島にフェリーで渡る。原始的な部落が椰子の樹で囲まれており、私達は草履を履いてその部落を歩き回った。子供達が出て来て後をつけて来る、広場のような所で休むと、20人位の子共達が私たちを取り囲み、しまいには赤ん坊を抱いた女の人達が出てきて私達をじっと見ている。 彼らは人懐っこく、お互いに言葉が通じないながらも何かを話し笑い合った。

マイソールにて