2月2日、クエッタから汽車でモヘンジョダロに向かう。
人類学を専攻したからにはあの教科書で有名な所に寄らなくてはと、まだこの先インドと東南アジアが控えているというのに。
しかし何故か無謀な感じはなかった。私達には時間は十分に有ったし、それ以上にしなければならない大切な事も無かったし、所持金は既に800ドルを切っていたが、
この辺での1ドルは非常に使いでが有り、 一日二人で5ドルくらいしか使っていなかったからだろう。 私には無謀な事をする理由が無かった。
あの冒険家の植村さんのように、目的とする山頂に登ったら無事に帰り、次の山に登る計画を立てるようにとにかく無事、生き延びることが一番大切に思っていたから。
夜中2時、モヘンジョダロの駅に着く。
駅は周りに数軒の家があるだけの草原にあった。
待合室にてアルコールランプでお湯を沸かし、
ココアを飲み七時まで眠る。
朝7時頃トンガという馬車に乗って7マイル先の遺跡に向かう。
そこには研究者用のレストハウスが有りたまたま部屋が空いていたので頼んで泊まらせて貰う。
夕方、我々の部屋を用意してボーイがコブラを見つけ殺した。
その血で汚れている部屋を止めて他の部屋に移る。旅行者も学者もその時期いなかったので自由に歩き周り、
時には掘ったりしてパイプのようなものを見つけおみやげとする。
2泊3日滞在したあと北上しラホールに向かう。
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