イタリアからギリシャへ、そしてトルコへ。我々は特に計画した訳では無かったが少しずつ自然に貧乏な生活に慣れてきた。何しろ周りの皆と同じようか、それ以下の生活をするのだから慣れるわけだった。
十二月十三日、シリアに向かうノーマと別れてエヂプトに向かうため、まずアテネにもう一度戻った、今度は飛行機で雪の中を出発した。
僅か一時間でアテネに着いた。すでに勝手知ったる他人の街なのでゆっくり休息した。
十二月十四日、船でアレキサンドリアに向かった。我々の船室の六人部屋でなんと日本人旅行者三人と同席になり、皆同じ位の年齢格好なので直ぐに打ち解けた。彼らはケニヤに向かう途中だった。我々旅行者は皆同じだと思うのだが、船で目的地に向かっている時ほど落ち着いて楽しめる時は無い。食べ物が良いし、寝る所が保証されているからだった。
この船の中でも食後にホールでの音楽があり、
久しぶりにダンスなどを楽しんだ。日本人同志六人でセブンブリッジをやり、我々はみかん二十二個を取られてしまった。
十二月十六日、アレキサンドリアに上陸。税関で会ったエジプト人の学生に、近くのホテルまでタクシーで連れて行ってもらった。彼もこの夏ヨーロッパに行った時、皆に親切にしてもらったので、私も旅人には親切にするのだと言っていた。ホテルは港に面した良い所で、一日二人で二ドル三十セントだった。日本人三人が泊まっているユースホステルに負けたみかんを届けに行ったのだが迷ってしまい、近くの学生に案内されてやっと到着。六人で外に出てまた偶然にさっきの学生に会い、彼の通っているアレキサンドリア大学に案内されそこの学食でランチ。六人のランチ代も彼が払ってくれた。夕食は安いレストランで済ましたのだが、愛子は不味いと言って食べず私だけ食べる。彼女の贅沢さに嫌気が差し、夜一人で外出。ユースホステルに日本人を訪ねたが部屋が見つからなかったので、その上にあるアレキサンドリア大の学生を約束通り訪ね、三人の日本人達が来るのを待った。私がもう帰ろうとする頃彼らがやって来てまた十一時頃まで話してしまったが、その間残してきた彼女が気になってなんとなく落ち着かなかった。宿に帰りベッドに入って始めて今日が私達の三回目の結婚記念日であった事を知った。
夜、エジプト
十二月十八日、カイロに向かう。泊まっていた宿のマネージャーに紹介されたホテルに着く。夕方街に出ると至るところにナセルの写真があり、
いかに彼の人気があったかが偲ばれた。
街は活気に満ちていた。中華レストランにて船で一緒だった日本人と偶然遭う。行く所は皆同じようだった。彼らとは街にいる間よく一緒に食事をし,クリスマスイブにはパーテイなどを開きしばしの間日本人同志でリラックスした。 ピラミッドにも登ってみた。
そこで観光客相手に仕事をしている少年に誘われて彼の後について登ったのだったが、ピラミッドを形成するひとつひとつの石が大きく、
手を使って登った。
角度も結構鋭く下を見ると落ちそうで怖かったが、少年がすいすい登っていたのでそれにつられて難なく、それでも二十分位はかかったろうか、無事頂上まで辿り着いた。
十二月二十五日、ルクソールに向かう。
ユースホステルに泊まる。カーナクの遺跡を訪れ、その巨大な円柱に度肝を抜かれる。ギリシャをさらに遡ること二千年、この建築物の偉大さに、それを創った人達に思いをはせた。ナイル河に沿って歩いていると、砂埃の道をロバに乗ったエジプトの人達に出会う。もしかしたら四千年前もこんな風だったのかも知れないと思い、
進歩とはどのような意味があるのだろうかと思うと同時にいろいろな文化があるものだとも思った。
夜、ユースホステルに一緒に泊まっていたエジプト人で学校の先生をしている人と知り合い、
イスラエル問題について議論した。私は何を言ったのか覚えていないし、日記にも書いていないので解らないが、その後その先生の知り合いが沢山来て、二十人位でそのせまい私の部屋で話していた。