ソ連で待つことを学んだ。
アメリカでは皆無駄なく合理的な動きで仕事をしていたのでそれが世界共通の価値観だと思っていた我々は初め、
怒り戸惑ったものだが、
怒っても何にも成らないことが解ってからは慣れてしまった。
それがソ連という社会主義のやり方なのだと。
考えてみれば不思議な事で計画経済というのは無駄を少なくするためのものなのに、
実際は無駄だらけでテーブルに座って珈琲が出てくるまで十五分もかかるのだから。でも資本主義だって確かに時間を大切にしているが、反対に物を無駄にしているのだからただ習慣の違いだけかも、かと。
その習慣の違いで予約してあった観光バスに乗り遅れた。アメリカ娘と我々は近くの博物館に行ったのだが、門番が何か言って入れてくれない。
何度聞いても駄目でとうとうロシア語の辞書を出してやりあっているうち周りに沢山の人達が来た。
ちょっと恥ずかしいことだがそこは出口であって入り口ではなかった、と言う実に単純な事だった。
普通美術館などは入り口と出口がほぼ同じ所に在り、建物の前と後ろに分かれているなんて。やっと入ったが今度はそこでまた何かを言われた。十分ほどごちゃごちゃしてやっと解ったことはコートを着たまま入ってはいけませんということだった。
ロシアの美術館のほとんどは旧貴族の城や別邸なので、そこを訪れた人は個人の家を訪問したのと同じでコートを着たまま居間に入るなんて事はなく、これは我々が礼儀知らずだと思われてもしかたがなかった。
とにかくアメリカを知ったと言う事で世界の常識を知ったと思っていた私達がおかしかったのだった。
が、当時の私はアメリカでの体験をとても大切にしており、何が何でもぺらぺらブロークンイングリッシュを喋って自分の思う通りに物事を進めようとしていた。しかしそれはロシアでは一切通じ無かった。
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