ロサンジェルスを出発してから日本に辿り着くまで、短時間にあまりにも多くの事があったのでとても記憶だけに頼って思い出すのは無理と思い、私は遂にそのときの旅行記を読みながら思い出すことにした。
さて一九七〇年九月二日に出発した旅行は順調に進んだが、五日ミゾリー州を走っている時に事故が起きた。
何と時速百キロで前輪の一つが外れてしまい、車はコントロールを失い横転して止まった。
その時私は後部座席で寝ており鎌田君が運転していたので気がついた時、
車は止まっており煙を上げていた。
急いで車から離れ様子を見ていたが燃え上がる様子も無く、私達は三人ともなんの怪我もなく呆然としていた。
対抗車線の反対側の車輪が外れた事と外れた道路際が何も無く且つ緩やかな土手になっていたので、
車は横転しながら何にもぶつからず自然に止まったのだ。
車は勿論めちゃめちゃになっていたが我々三人はほとんど怪我しなかったせいも有り、車が壊れてしまったことだけを嘆いていた。
あと十秒位走っていたら橋の上だったし、もし反対側のタイヤが外れたのだったら対抗車と衝突していたでしょうに。
それに二、三秒に一本の間隔で樹や電柱が立っていたのだから。それにかすりもせずにただごろごろと転がって自然に止まるなんて、私には運命の女神が微笑んでいるに違いなかった。
事故の後、持てるだけの荷物を持ってバスに乗りイリノイ州の宮嶋宅に行った。
ほっとしたのか愛子が身体の調子が悪いと言い出したので、一応病院で検査したところ肋骨を折っていた。数日して何とか動けるようになったのでシカゴに今度は二人で出発した。
グランドキャニオンにて
飛行機がニュウヨークに着いたのは夜中だったのでホテルを取るのが大変だった。結局真夜中近くにブルックリンのホテルが取れた。コロンビアハイツというところにある汚くて安い、少し危険な感じのするホテルだった。それでもその部屋から憧れのニュウヨーク市が見えたので満足した。
二、三日滞在の後、九月十五日ケネデイ空港よりアイスランデック・エアラインでルクセンブルグに向かった。一番安い飛行機なので乗客はほとんどヒッピー風な学生だった。すごく古い感じの飛行機でいろいろな所がガムテープで止めてあり、無事に離陸した時は皆手を叩いて喜んだ。この百五十人位の乗客は皆同じような服装をして貧乏な様子だったが、意気軒昂で恐れるものは何もないという同志のようだった
|