幸い病気もせずに何とか二年でパサデナ市大を卒業することになり、あこがれの角帽を被って卒業証書をもらった。が、そこはジュニアカレッジだったので本当に大学を出たことには成らず、あと二年の専門課程に進むのが当然だった。
そこでまた転機が訪れた。私は中学生の頃から写真に興味を持っていたが、特に大学に入って以来強くなった。水産大学に合格した時、父がお祝いに何か欲しいものを買ってあげると言ったので、当時出たばかりのミノルタの一眼レフを買ってもらった。それまで二眼レフを使っていたので、その直接目の中に入ってくる風景、そしてそのカメラの重量感は特別だった。私が一人でいろいろな所に旅行出来たのもそのカメラと一緒だったからで、いつもカメラに話しかけていた。
大学でも写真のコースを取っており成績も良かったので、先生から写真をやるならUCLAに推薦すると言われて大いに迷っていたが、結局日本に帰って寺を継ぐという思いが捨てきれず、それならということで私にとっては一番困難かもしれないが本道である人類学に挑戦することにした。「人間はいつ人間になったのだろう」とか「自由意思ってあるのだろうか」とかを本格的に考えてみたいと思った。それに寺を継ごうと思っていたのは、そうすれば考える時間が十分にあるだろうと思ったのも一つの要因だった。
私が考えたいと思っていた事は、意思という言葉だった。学問の中で一番客観的に物事を説明しているのは物理学のような気がしたし、その言っていることが不合理だとか不自然だとか感じたことはなかった。私がどうも最初から囚われてしまっている因果関係による説明は、私の中では唯一の説明方法だったので、人間とは意思をもった動物であるとすると、その意思というものを因果関係とか物理で説明するのは結構大変な作業だなと思っていた。
第一「出発としての卒論」のサブタイトル「ゼロからの出発」とは意思を主題にしたもので、ゼロから何かを生み出そうとする冒険だったのだ。出発点がすでにパラドックスだった。
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