結婚して私が一番良かったと思ったのは、人間の中の生物としての要素とその重さが解り始めたことと、自分以外の人間との関わりからも自分だけでは発見できない何かおもしろい面が自分の中に見えたことだった。それに、自分の言葉で表現したら百パーセント伝わると思っている人がいつも近くにいることによって、私の言葉に対するフラストレーションは消えた。
一番良い例は買い物だった。一人の時はスーパーでの買い物は一種の仕事で無駄なくなるべく速く切り上げようとしていたが、二人で買い物に行くと、それはデイトであり映画を観に行ったと同じ位の楽しい時間だった。この武蔵の弟子である私がスーパーでおしゃべりをしながら「この大根はおもしろい形をしているね」とか言っているのって自分でも想像出来なかった。人間って割合簡単に変わってしまう事を知った。後年美術商になりピカソを扱うようになった時、彼の青の時代からバラ色の時代へ移行した経過が良く解った。
さて、苦学生のつもりが普通のひとと同じような、小さくともしっかりした幸せを手にしてしまうと、困った事が起こった。逃げ場が無くなってしまったのだ。
金もなく言葉も出来ず孤独っぽい状態の中で生きていた時は、まだ何も出来なくとも仕方が無いと結果を先送り出来たのだが、普通の人と同じくらいになると現実的な目的とか結果が目に見える所に無いと何か自分がずるいように感じてしまうのだった。
そのため私は今までの学校に通うのは唯英語の勉強の為だと思う事からはっきりとした目的、つまりアメリカの大学を正式に卒業しようとする事に切り替えた。そして卒業したら世界一周の旅行に出発しようと。
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