卒論をまとめている頃、また偶然に大切な本に出会った。今度は小説ではなく社会心理学の本だった。何故この本を見つけたかというと、それはタイトルに惹かれたからだった。『自由からの逃走』という、最初はふざけた題だと思って立ち読みしていたら、エーリッヒ・フロムなどという人は聞いたこともなかったが、これは絶対買わなければと思った。自由に憧れ、その為にはどのような努力も厭わないという考え方は、誰にとっても真理であり、それ以外の考え方なんてある筈がなかった。それをフロムは私の方法、つまり原因と結果から解き起こし、自由を嫌う事もあるのだといった。常識だと思っていることも、今一度きちんと考えるのが学問なのかと思った。
私が『出発としての卒論』を書いた本当の理由は、確かに一つには自分の生まれ育った所から、未知の世界に出る事だったが、もっと大切な事として新しい自分を生きようとする事にあった。あの幼年時代の劣等感から脱出し、強い人間に成ろうとして沢山の良い本を読んだ。私の持って生まれたものなのかも知れないが、強くなろうとする人間にとって、キリスト教世界にいる文学者の言っている事の方が、日本人のそれよりもより素直に私の中に入って来た。世のため人のために生きる事が最終目的のように思え、そうなる為に、シバイツアーのような生き方が理想的に思えた。武蔵とシバイツアー、不思議な組合せだが、私にとっては自然な流れだった。考えてみると確かに二人とも何かを求めて戦っているようだが、強くなる事しか考えてない私に、世のため人のために自信を持って何かすることが出来るだろうかと疑った。それをする為には全てに対して好奇心いっぱいの今あるエネルギーをある程度放出した後でなければ不可能だろうと。それではと思った、シバイツアーのように私も三十歳まで自分の好奇心のためだけに生きようと。そう、私の好奇心とか興味の一番中心にあったのは「いつ人間は人間に成ったのだろう」だった、それを世界一周しながら考えてみようと。
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