これは私の考え方というよりも癖といった方がいいかも知れないほど、私は因果関係を辿る事で何かを理解した気になっていた。
全ての事柄の連続性、物理で言う慣性とかエネルギー不滅の法則とかと一緒にして、世の中や自分の事を理解しようとした。人間とは意思を持った特異な生物の筈と思っていても、意思というものを客観的な物理学の中で考えると、意思イコール複雑な脳の中での反応となってしまい、考え、決断そして実行といった所で所詮成るように成っているだけの事かも知れないと、何か淋しくなった。
自分に興味を持ってから、それを知ろうとして、結局人類と言うものは何かという考えに行き着き、ダーウィン、フロイトとかユングの本を読み始め、さらに生命とは何かにまで進み、読まなければならない本が急激に増して来た。
とにかく私の考え方は、何故こうなったのか、こうなる原因は何かという簡単だが、多分基本的な考え方だった。今でも時々思い出すが、ケンブリア・アダルトスクールと言う市営の外国人のための英語学校で提出した作文のタイトルが「From
a stone to a humanbeing」で、連続性とか時とかを主題にしたものだった。
今でも基本的な所は変わっていない、つまり二十代の前半で考えていたことが四十年も続いている事になる。
アメリカにいる間語学のハンディで肉体労働でしか生活費を稼ぐ事が出来なかったが、それは決して不幸に感じた事はなかった。苦労は自分を高める為の必要不可欠なものだと感じていたのかも知れない。 |