外側の行動としての形ははっきりして来たが、それを支える内側の哲学が今一つはっきりしていなかった。無論のことだが私は武蔵のように剣、または武術を中心に生きようとは思っていなかった。二十歳頃だったろうか。私はまた大切な本に出会った。
それはドストエフスキーの『罪と罰』だった。金貸しの老婆の存在は社会にとって悪であり、それは除去しなければならない、と。そしてそれは思いだけで終るのではなく、行動して初めて自分の存在が証明されるのだと。主人公ラスコーリニコフは老婆を殺し、自分の考えと行動を一致させた、そして自分が証明された筈だった。
わたくしはこの小説の前後は全然覚えていない。ただ、人間の思いと行動を調和させる事の難しさだけが印象に残り、人間が考えるとはどのような事なのか、決心とは、意思とは何なのかと思った。
私が思いと行動の一致に重きを置くのは、多分柔道部での練習の影響もあるだろうが、藤村の小説『破戒』に感激したからかもしれない。自分の証明のために自分にとってとても不利な事を敢えて表明するなんて、相当な勇気と美意識が必要だと思った。
私は大学の卒業論文で、漁具学科に席を置いていたにも拘わらず、教育学科の先生に助けを求めた。何故まともな卒論を出さず、変な日記をまとめたようなものを「出発としての卒論」という題で提出したか、それは私なりの美意識だったのだろう。
それにしても卒論として半年もの間に日記を読み返し、分析し、何故こんな風にならざるを得なかったかと自分に納得させることは結構疲れる事だった。それでも中途退学もやむなしと強気に行けたのは、やはり後半年で世界一周に出発出来るという思いが在ったからだったと思う。
それに、もしかしたら二度と日本に帰れないかも知れないという思いが、私の二十三才までの歴史を総括しておきたいと思ったのだろう。(続く) |
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