限りある時間の中で、そして限りある私の能力の中で宇宙を理解したいということは、例えそれが出来たと思っても、それは私の個人的な宇宙観が形成されただけに過ぎない。もし真実というものが在るとしたら、それがどれだけ真実の近くにあるのかとても分からない。今流行のDNAにしても、その美しい分子構造がワトソンとクリックによって解明されたのは今から50年も前のことであり、私及び普通の人達がその意味に気が付いたのはせいぜい10年前で、40年間はその道の専門家しかそのことに注目していなかったのだ。ゴッホやセザンヌなどの絵が理解されるまでに何十年も掛ったように、重大な発明や発見は下に降りて来るまでには結構時間がかかる。
今日は2004年1月1日。昨日の12月31日までにこれを終えようとしていたのだが、余計な事を書きすぎた所為かまだ終りそうもない。確かにギャラリーかわまつの歴史からは少々外れているかもしれないが、これも乗りかかった船、今止めたらもう二度と書けないと思うので続けることにした。私の中にはこの文章を書き続けて、思い吐き出したいと言う気持ちがある。文章にすることによって自分の歩いてきた道をもう一度確認したいのかもしれない。63年掛けて感じたり見たりしたことを読めばわずか1時間の文にしてしまうことに、いかに多くのことを無視するかという事を考えれば、こんなことしない方が良いという気持ちも生まれて来るが、やはり書いておいた方が良いと思う。これは一種の遺言書かもしれない。遺言書と云うと少し大げさな言い方かも知れないが、新たな目的とか、生きる意味をもう一度確認するためにはそれまでの人生の総括は必要であり、それ無くしては遣り残した事やもう少しやって見たい事が浮かび上がって来ないような気がする。
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